【世のため人のため】という。
立派な言葉だし、わたしが好きなことばだ。
しかし、
「なんか、この言葉は【偽善】的やなあ」という人もいた。
私は
「そうかも知れへんなあ。」
「でも」
「そやけど」
「本当に、そうか?」
と思う。
その人の言い分は
「偽善的なことは嫌いだ」
だから
「偽善的なことはしたくないし、やらない」と
いうことだった。
しかし、私は思ったのだ。
それは
「だから、やらない」
よりも
「でも、やる」
の方がいいのではないかと。
偽善でも「良いことはやったほうがいい」と思うのだ。
「偽善でもいいやん」
理屈ばっかり並べて「何もやらない」より
ちょっと気恥ずかしくって頭をかきながらでも
「イイことは、やった方がいい」と思うのだ。
この違いは非常に大きい。
それは
例えば、
1人だけの話ではなく、社会として考えた場合。
社会というものが元々あったわけではない。
社会を構成しているわたしたち一人ひとりが集まった総体を
一般に、社会と言っているに過ぎないのだから。
けっきょく、一人ひとりの行動が重要なのだ。
それも「良い行動」が大事だ。
そんな大げさで大層なことで、なくていい。
たとえば私の場合
自分で言うのも、気恥ずかしいが
「ちょっとした」【親孝行】を、最近、心がけている。
昔の私は、ぜんぜん反対の「親不孝ものの典型」だった。
どんなひどい人間だったかは、
以前の日記「母の一言」に書いた。
(よろしければご笑覧ください)
そんな親不孝なバカ息子だった私が、
月に2〜3日は「親孝行の日」を
自分で勝手に決めてつくり、実行している。
そんなに難しいものではなく、
本当に簡単なことだけだ。
たとえば、
70歳過ぎた母と一緒に映画に行ったり、
買い物をしたりする。
あるいは、日頃できない家の大掃除とか
物の移動とかを、だいぶん前から母に伝え、
その日は仕事を入れず、実行する。
また、日常生活では、できる限り食品や生活用品を
わたしが自転車で買い物に出かけている。
わたしの母は障害を持っているので、
そんな誰にでもできるたわいもないことでも、
すごく感謝してくれ、喜んでくれる。
今まで親不孝ばかりしてきた反省の行動でもあるが、
70歳過ぎた母とも、あと数十年しか共に生活することが
できないだろうと思うからだ。
以前、今後の人生プランをエクセルで表に纏めた時に、
自分の年齢と身近な人々の年齢も入力した。
その時に、愕然とした。
「たった、これだけか!」
長生きしたとしても、本当にあと数十年しか
共に、この世にいることができないのだと。
「生きている、この命、ほんまに大事にせなあかんな」
母の命も私の命も、縁のある多くの方々の命も含めて。
家族でケンカや言い争いをしてる場合やないな。
そんなことで時間を使うのは、ほんまに勿体ないな。
私たちが、生きているのは、ほんのつかの間だ。
同じ生きるなら仲良く楽しくお互い生きたいな。
ちょっぴりの親孝行も
「生きてる間だけ」しかできない。
ほんの、ちょっぴりの『善いこと』も
「生きてる間だけ」しかできないのだ。
ボランティアという言葉がある。
「ボランティア」の語源は、
ラテン語で「自由意志」(Voluntas)、 フランス語では「喜びの精神」(Voluntas)、 英語では「志願者、有志者」(Volunteer) という意味を持つ。
つまり
ボランティアの本来の意味は
自分に出来る事を、
自分に出来る範囲ですすんで行う事が
ボランティアなのだ。
ポイントは 「自発的に」「自ら進んで」「引き受ける」ことだと思う。
何をするか?
社会をより良くするための活動をすることだ。
だから、何でもかんでも無償で、犠牲をはらって どこかの団体に参加して活動することだけではないのだ。
ごっつい凄い素晴らしい活動をすることだけではないのだ。
大切なのは
「自分の周りでおこっている困ったことを、何とかしたい!」
という気持ちなのだ。
私は思う。
私も昔、止むに止まれぬ気持ちで
「世の中を良くしたい!」
と思って
ボランティア団体に所属し、活動したことがあった。
家のことや親をほっぽりだして
ボランティア活動をしていたのだ。
「世の中を良くする」という崇高な理想に自分が酔い、
実際には現実逃避の側面があったのも否めない。
今から考えたらバカだったなと思う。
一番大事なものを考えずに行動していたのだ。
【家族】という一番身近で一番大事な存在を。
自分の「家族さえ、幸せにできない」のに。
社会や世の中を良くするとは、 当時の私はおこがましいことを考えていた。
今、現在は、もう少し考えが広くなってきた。
家族も幸せにし、 世の中も良くする第3の道があるはずだと。
3段階がある。
先ず、 自分がイキイキすること。
2番目に、家族と調和を保ち、
共に向上できるための行動を選択すること。
3番目に、地域や社会、世界へと行動を拡げていく。
家族を変えることはできない。
家族は自分の思い通りにならない。
そこから自分の発想をスタートする。
しかし、思い通りにコントロールはできないが、
それぞれに思いやりの心を込めたサポートは自分ができる。
「ありがとう」「おかげさまで」「頼りにしているよ」
など、いたわりや、ねぎらい、感謝の言葉を
しょちゅう家族に対して、自分が使うことができる。
できる限り頻繁につかうのだ。
また、家族、それぞれが「願っていること」をサポートするのだ。
自分のできる範囲の力と行動でサポートをする。
さらに重要なことは
自分がイキイキすること。
自分らしい
本当にやりたいことを行うことでもいい。
趣味でもいい。
生き甲斐や、やりがいのあることを行うのだ。
自ら進んで。
それがさらに「世の中に役立つ」ことで行えたら最高だ!
本人が輝きを放ちはじめると、不思議と周囲が変わる。
あまり、家族に対して、あ〜しろ、こ〜しろと言わなくても
それぞれが少しずつ
「自分もイキイキしよう!」
という意識になるから不思議だ。
たぶん
これが一番
「世のため人のため」
になるのかも知れないなと私は思う。
不平不満タラタラで生きるより、ずっと素晴らしい。
そんな人々が増えたらいいな。
きっと、
これから増えるだろうな。
【善い行い】は【偽善】からでもいい。
みんなそんなに綺麗な心だけ持っている訳ではない。
汚い心も多少なりともあるのが人間だ。
それでもいいのだ。
「模倣も極度に到達すると
真実と同様となる
従って【善】なる事は
極力模倣すべきである」
(中村天風師)
わたしはこの言葉を読んで
そうだ。
善の偽物でもいい。
善いことの真似から始めたらいいのだ。
【善いこと】は、例え少しでも、やらないよりずっと良い!
まだまだ未熟な自分ではあるが、
さらに、少しずつ良くなっていこうと思った。
「もっとも大きな快楽は他人を楽しませることである」
(ラ・ブリュエール)
【善い行い】は【生きてる間しかできない】のだ。
だから
【善は急げ!】
完
(参考及び引用
中村天風師 『新箴言注釈』 国連登録NGO 横浜国際人権センターホームページ等)
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