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【進化向上】



「宇宙原則に即応して
 この世の中の進化(Evolution)と向上(Elevation)とを
 現実化することに努力する」


これが

「我等人類が、万物の霊長という尊い貫禄を付与されて、

この世に生まれ出た所因には、そこに犯すべからざる

峻厳な大使命が、生まれながらに、本来的に約束されて

あるのである。」

「然からば、その大使命とはそもそも何かというと、曰く
『宇宙原則に即応して
 この世の中の進化(Evolution)と向上(Elevation)とを
 現実化することに努力する』という、尊厳な一大事実である。
即ち、我等人類は、こういう尊い大使命を遂行するため
この現象界に生まれてきたものなのである。」
          (中村天風著『真人生之探究』より)


20代半ばだった。

わたしが、この文章を読んだのは。



父を早くに亡くし、
「人間は何のために生きているのか?」という疑問を
高校1年の頃から考えに考え抜き始めた。

その答えを探し出すため、さまざまな書籍を貪り読み始めた。


大阪で一番蔵書の多かった図書館に、
ほぼ毎日通ったこともあった。


その答えは・・・



学生だった私には、思いの外、困難を極め探せなかった。

いや、

現代の大人だって、こんな哲学的な問いに、

きちんと納得のいく解答ができる人物が、

この地球上に何名くらいいるのだろうか?


少なくとも当時の私の周囲には、

私が納得できる解答をしてくれた大人は

皆無だった。


仕方なく


わたしは書籍の山の中に、その答えの探究の旅に出た。


いくつかの書籍の中には、

「オヤッ」という解答が書かれたものがあった。


私が学生だった頃、
精神分析で有名な岸田秀氏の著書には

幻想論が語られていた。

人生も総てが幻想であるという。

「なるほど、そうか」と当時は思ったが、本心から

シックリくるものではなかった。

また、当時、気鋭の京大の学者、梅棹忠夫氏の

「人生に目的はあるか?」を読んだ。

氏によると、そもそも人生に目的などないという。

梅棹氏は老荘思想にかなり影響を受けているためだと思う。

「そうか、人生に目的など存在しないのか。」

ガックリと肩を落とした。

わたしは「そうかも知れない」と思ったが、

【どうも腑に落ちなかった】のだ。

「それだったら、人生って何かさびしいものだな」

わたしの目の前にいる

「あの人も、この人も

 何の目的も意味もなく

 ただ生きているだけなのか・・・」



わたしは人生というものを諦めかけていた。





しかし、

諦めきれずに、

さらに
哲学書、人生論、自己啓発書、宗教書、精神世界の書を読み漁った。

その中で、当時の私はヨガに興味を持った。

「人生に意味はあるのか?」

「生きる目的はあるのか?」

その答えを見いだすため、

様々なヨガの専門家の書籍を読み出した。

佐保田鶴治先生、沖正弘氏、本山博氏、藤本憲幸先生、
プレム・ヨーギ先生等、

それぞれの先生の思想は素晴らしく、
それなりに説得力はあるものの、
私にとっては

「これだ!」

という確信を得るものは残念ながらなかった。

そんな時・・・


当時、わたしは藤本憲幸先生の弟子として

ヨガのインストラクターをしていた。

その道場の中で見つけた会報誌に

藤本先生が書かれた一文に私の目が止まった。


日本初のヨガ直伝者が書かれていた。

それは明治の哲人、
中村天風氏に関しての内容だった。

波瀾万丈の人生を送り、
各界の精神的支柱となった明治の気骨だ。

華族に生まれ、文武両道に恵まれ、軍事探偵になる。

無理がたたり奔馬性肺結核となり医師から死の宣告を受ける。

ところが、病の体をおして、人生探求と病を治すため、
医学、哲学、心理学等の書籍を読みあさった。

さらに世界中の識者や偉人を訪ねてまわった。

しかし、いっこうに治らず、諦めて日本に帰ろうとした時、

エジプトのカイロでヨガの聖者と出会い、インドに渡り

難行苦行の末、悟りを開く。

日本人初のヨガ直伝者となり、ついに病を克服した。

帰国後は銀行の頭取、数社の会社を経営し大成功を治めた。

しかし、思うところがあり、今までの財産を投げうって、

人としてどう生きるかを大説法し、天風哲学・心身統一法を

編みだし、政財界、文化人等、多くの逸材を世に送り出した。

英語、中国語、ドイツ語も堪能だったという。

さらにコロンビア大学を主席で卒業、

ドイツのベルリン大学にも学び、

それぞれの大学で医学博士、哲学博士号も取得した。



わたしは、こんなスケールのでかい日本人が

明治・大正の時代にいたのかと驚いた。


それ以来、私は、ずっと中村天風という人物が

気になって仕方がなかった。


書店で図書館で中村天風という人物について
徹底的に調べた。

孫文政権の第二次辛亥革命の最高顧問を中村天風氏が
していたことを知り、孫文の文献まで調べた。

現在のような中村天風ブームとは違い、
当時、中村天風に関する書籍は
宇野千代さんの『天風先生座談』、
大井満先生の『ヨーガの里に生きる』等
数冊の限られたものしか存在しなかった。

しかし私はどうしても知りたかった。

直感的に、この中村天風という人物が

長らく私が抱いている疑問

「人間は何のために生きているのか?」

のヒントを与えてくれるかも知れないという

期待があったから。


しかし、いくら探しても上記以上の情報は
わたしには得られなかった。

「もうこれ以上わからないな」

と私は半分諦めかけていた。


ところが意外なところに・・・


中村天風師との縁があったのだ。



私はヨガのインストラクターを数年経て、

実業のビジネスの世界を経験する必要を感じ、

リクルートの企画営業マンに転身した。


当時は飛び込み営業を軒並み行っていた。

そんな中、「財団法人天風会香里支部」という

看板が目に入った。


「えっ、ひょっとして!」


そう、私が、あれほど探していた中村天風氏の

支部道場が、私の目の前にあった。

当時のわたしは財団法人天風会というところを

よく知らなかったので、

あぶない宗教だったらどうしようなどと思っていた。


しかし、その支部道場は2階建てで1階が小児科の病院だった。

何かホッと安心した。

そして、私はつかつかと、その病院に訪ねていった。

すると奥から年輩のご婦人が出てこられた。

「ここは中村天風先生の道場ですか?」

「そうですよ。よかったら2階の道場をご覧なさい」

と快く応対していただいた。


道場に入り

「オッ」

私はビックリした。


それは・・・




私が生まれて初めて見た中村天風師のお写真だった。

慈愛に満ちた目で天を見上げ、
合掌し半踵座を組むお姿だった。


「美しい」

しかも神々しい雰囲気に溢れていた。


私は、何名かの精神的指導者を実際に見てきたが、
このように魂から、この人は凄いと感じたのは初めてだった。


そして道場の中を見渡すと、そこに中村天風氏の

非売品の著作が数冊並べられていた。

わたしは
特にその中の『真人生之探究』というタイトルに惹かれた。

パラパラと頁をめくると、

そこには私の知りたかった答えが

総て網羅されていた。


もちろん

「人間は何のために生きているのか?」

という答えも書かれていた。


そこで私は・・・


「人間!!それは、一体何であろう?

 否、人間とは、一体幸福のものであろうか、
 不孝なものであろうか?

 特に、病や運命に対して果たして、強いものであるか、
 それとも弱いものであるのか。

 敢えてお訊ねする。
 諸君は、こうした対人間観をしんみりと静かに
 考察せられたことがあるか、どうか。・・・」


という我々への疑問から
中村天風著『真人生之探究』は始まる。

そして

人間には、人生の総てを立派に解決して、

万物の霊長である資格の発揮を完全にしてくれる

頼もしい潜勢力というものが、

自己自身の生命の内奥に厳として実在しているという

自覚意識に目覚めよと説く。


さらに

一体どういう理由で、人間の生命の中に、

潜勢力という不可思議な力が実在するかという

問題を解決するために、順序として

「人間というものが、一体何をするために

この世に生まれてきたのか」

を考察してみることだという。


「世の中には随分立派な教養をもち、

難しい議論や、ややこしい理屈をいう人は、

かなり沢山いるが、案外にも、そういう人の中にさえ

人間出生の『本来の使命』という、人間として何よりも

一番先きに自覚しておらねばならない肝要のことを、

全く無自覚の状態で人生に生きている人が相当多い。

 
 その証拠には、そうした人々の中には、下らない病や、

つまらない運命と親密な関係をつけて、もっと尊く活きらるべき人生を、

苦悩憂愁という価値の低い状態で送っている人が

実際において少なくない。


 元来人間は、この世に病むために生まれてきたのでもなければ、

また煩悶や苦労をするために生まれてきたのでもない。

否、もっともっと尊厳犯すべからざる重大な使命を

遂行するために生まれてきたものなのである。」


さらに、

天風先生は、

この現象界に現存するありとあらゆるものは、

何れも総て何等かの使命があって生まれたもので、

何の使命もなく生まれ出たものは一つもないという。


そして、いよいよ私が待ちに待っていた


中村天風師が語る

その私たち人間の使命とは・・・




「我等人類が、万物の霊長という尊い貫禄を付与されて、

 この世に生まれ出た所因には、そこに犯すべからざる

 峻厳な大使命が、生まれながらに、本来的に約束されて

 あるのである。」


「然からば、その大使命とはそもそも何かというと、曰く

『宇宙原則に即応して

 この世の中の進化(Evolution)と向上(Elevation)とを

 現実化することに努力する』という、尊厳な一大事実である。

 即ち、我等人類は、こういう尊い大使命を遂行するため

 この現象界に生まれてきたものなのである。」


「・・・人々の多くは、ひたすらに自己のみを本位とし、

 自己のみを標準として、富をつくろうとか、地位や名誉を

 高揚しようとか、思うままの贅沢や我儘(わがまま)をして

 暮らしたいとか、中に特に滑稽な人になると、自堕落三昧の

 勝手気儘(かってきまま)な生活を行いながら、何とかして

 一生を通じて病などに取りつかれず、健康を持続し、

 日々の運命の如きも、出来るだけ無事平穏で活きて

 行きたいものだというような、極めて虫のよいことを

 祈望して、活きている人が多い」


「しかし、こういうように、本来の使命という大切のことを

 度外視して人生生活を営んだのでは、どんなに努力しても、

 既にその人生生活そのものが根本的に人間としての正しい

 生活目標を没却しているのだから、人間に与えられた幸福も

 恵みを得られる筈がない。」


「人生の事柄は、

 一切合切『報償の法則』(Low of Compersation)

 というもので支配されている。従って一切の人生果実は、

 その人の蒔いた種のとおりに表現してくるものである。」


「ところが人々の多くは、この法則の実在すら明瞭に意識せず、

 常に悪い種子を培養して人生苦という下らない果実を作っている」


「が然し、これでは折角万物の霊長たる人間として、

 この世に生まれてきたかいがない。

 生まれがいのない人生、それはまた活きがいのない人生ということになる。

 多くいうまでもない、人生に活きる以上はどうしても生まれがいのある、

 そして活きがいのある人生に活きなければ、

 どの点から考えてもうそである。」


わたしは、この書の冒頭で、ショックを受けた。

相当憧れはするものの、正直信じられなかった。




当時のわたしは借金まみれで消極的、悲観的、批判的に

物事を考えがちな人間だったからだ。

「人間にそんな大それた使命があるのか?

 そのような人生の目的があるのか?」

自分の境遇や境涯と比べて、あまりにもかけ離れた考え方だった。

しかし、それは、

この書の後半で私が「なるほど」という箇所に遭遇し、

見事に解決されたのだった。


『真人生之探究』の結論として

『真人生之探究』の結論で私の心はさらにスッキリした
文章があるのだが、その前に中村天風述『成功の実現』から
以下の文章を引用しよう。


「・・・人間は進化向上という尊い使命を果たすべく

 この世に生まれてきたのだ、知る知らざるとを問わず。


 おおむね多くの場合、多くの人々はいろんな議論や

 理屈をいう割合に、人間がこの世に何しに来たかと

 いうことについて知らずに生きているのであります。


 人間がこの世に何しに来たかってことを知らずに生きていると、

 当てがなく旅に出たと同じ結果がきてしまって、結局、

 人間としての与えられた幸福どころじゃありません。

 毎日、日にちの人生がきわめて無意味になってしまう。

 皆さん考えるんですよ、1人ひとり。

 つまり、私、自分というものが、

 進化向上という宇宙本来の犯すべからざる目的を

 お助けするためにこの世に生まれてきたんだ、

 これが真実なんですから。」


わたしは

「そうかあ。そんな偉大な使命が与えられてるのかあ。

 しかし、その目的のために

 わたしは具体的にどんなことをしたらいいのだろう?」

という疑問がわいた。



それは、『真人生之探究』の後半の中で

「・・・ただ日々の自己の生活の中に行う言行を、

 些かの注意を施して、

 出来るだけ世の中のために少しでもなるようにと心がける、

 それだけでよいからである。


 そしてこれをたやすく実現せしめるためには、

 出来る限り、人のため、世の中のためになることを

 言い且つ行うということを、自己人生の【たのしみ】と

 するという気分になることである。

 そうすれば、何も大した努力をする必要なく、

 それが期せずして霊性満足の生活となり即ち創造の生活に

 合致することになるからである。


 事実、こうした目的を以て行われる生活こそ、


 進化向上の現実化という人間本来の使命観に正しく立脚したもので、

 同時に、その使命の完全遂行を、現実に既成するものである。」


「・・・必然的に【人の喜びを吾がよろこびとする】という心持ちに、

 自分の心が尊く変移するからである。

 但し、この心がけを一層に現実化するには、

 常に誠と愛の心を以て、万事万物に接することである。」


天風先生は、

元来【誠】と【愛】というものは、人間の本然の姿である。

この心は極めて容易に、しかも簡単に、発露し得るものだという。


「誠と愛で人に接し、物に接した時、既に自分自身の心に感じる

 快さと嬉しさとを考えてみることである。

 
 即ちこの嬉しく感じるという心持、

 それだけでも充分報われたことになる。」

「従って、人の世のため、常に誠と愛とを基盤として

 為される言行というものは、ただ単なる道義的推論ではなく、

 広い意味における人間使命の遂行であり、また人生確保の

 要訣であり、これこそ洵に最も新しくしても最も古き、

 即ち久遠より永劫への、昭として一貫する

 不易の人生哲学と人生科学の真髄である。」


わたしは、

中村天風師のおっしゃる

人間の目的とは
宇宙法則である【進化向上】を現実化させるためであり、
それを具体的にするために、日々の生活における言行を、
世のため人のためになることを言い且つ行うことである。

という考えに非常な感銘を受けた。

この内容が詳しく書かれた『真人生之探究』を読み終えた時、

しばし瞑目し、胸が熱くなった。


「そうかあ、この目的を現実化するために生まれてきたのか!

 しかし、俺の今までの人生は本当に自分本位で生きてきたなあ。

 人のことなど、ほとんど考えずに生きてきたなあ」


以来、まだまだ未熟ではあるが、

「進化と向上」「世のため人のため」という言葉が

少しずつ好きになってきた。


また【自己向上】という言葉も好きになった。

「進化と向上」「世のため人のため」の根本は

【自己向上】だから。


先ず【自ら】が出発点だ。



宇宙の法則である進化向上を現実化するのも

宇宙の中の生物である私たちひとりの【自己向上】に

託されているのだろう。


そう考えると私たち1人ひとりの人生は

貴重な使命があるのだ。

そして

何げない日々の生活の中で、

少しだけでも自分自身の人間性、能力をアップさせること、

少しだけでも「世の中のお役に立とう」とする気持ちと行動が

宇宙及び人類の進化と向上を現実化させる

お手伝いをしていることになる。

すごいことだと思う。


ただ、

わたしには一つの疑問があったのだ。

宇宙は進化向上の法則で

動いているということだが、


現実の世の中や歴史を見渡すと

確かに原始時代から情報社会へ移行している。
進化している面も多々ある。

しかし、

戦争や犯罪、貧困、病気、不正、事件、地球環境問題、
いじめなどの教育問題、金銭トラブル、搾取、
夫婦間や親子関係・職場などの人間関係のトラブル等、

人間社会の問題や矛盾が山積みだ。

人類の歴史を見ていると戦争と殺戮、搾取の歴史が
書かれている。

「これで本当に進化向上を宇宙と人類はしているのか?」


この点をわたしは一生懸命に考え抜いた。


すると

ある時、ひとすじの光明が見えてきた。


それは・・・



中村天風著の『箴言注釈』を読んだ時に、

こんな一文に出会った時にヒントを得たからだ。


「自然界も、いっさいの事象

 いっさいの事物の運行現象をみても、

 そのすべてが、完全ということへの意図の現れで、

 少しもそこに破壊のための破壊というものがないのを

 見ても、ただちに分明する。


 否、一見破壊らしく見えるものも、仔細に検討すれば、

 そのすべてが完成への一過程としての破壊でしかないと

 いうことが合点される。」


わたしはこの文章を読んで

「な〜るほど!」と思った。

そして、考えた。


悲惨な歴史がある。

戦争、犯罪、事件、環境破壊、等々。

何故、人類は、こんな残酷な、あるいは
残虐なことをしたのかというような。

人類の愚かさや醜さを嘆くこともできる。

人類は進化より、
むしろ退化しているのではないかとも思う。


また、個人の人生においても、

病、貧乏、煩悶、過ち等で悩んでいる人々も
多い。

わたしも、そうだった。

個人においても進化向上しているのだろうか?
むしろ退化している面もある。


進化向上は本当に宇宙の摂理なのだろうか?


しかし、

「破壊のための破壊はない」


「否、一見破壊らしく見えるものも、仔細に検討すれば、

 そのすべてが完成への一過程としての破壊でしかないと

 いうことが合点される。」


という中村天風師の言葉を、じっくり考えると、


「そうかも知れないなあ」と思った。


しかも・・・





よくよく考えてみると

人類の歴史において、戦争や犯罪、事件、環境破壊など

悲惨な状況が起こると、

人類の中に、そういった状況に対して、

「これではいけない」

「このままではいけない」

「何とかしないといけない」

「何とかしよう!」

という考えを持った人が現れてくる。

始めは、【たった1人】の【気づいた人】から出発することが多い。

そして、その考えに賛同する人が、ひとり、また1人と増えてくる。

少しずつ少しずつではあるが、

【現状をより良く】変えようという動きが始まる。


時間の経過とともに大きなうねりになる。


ある時は、現状をより良くするための

革新的な思想や哲学であったり、

発明であったり、科学的発見であったり、

運動であったり、革命であったりする。

そして

大きな改革がはじまる。

考えてみれば、このような

【志】を持った【現状を打開する人々】が、

いつの時代も現れている。


そして、過去の歴史から学び、

新たな歴史の一頁が始まる。



また個人においても然り。




運命難や健康難に遭遇した時、

自己の人生において、

「この出来事から私は何を学ぶのか?」

「何を天は私に教えようとしているのか?」

「こういう出来事に遭遇した意味は何なのか?」

借金、倒産、貧乏、病、災難、

試練、失敗、煩悶、懊悩、

失恋、離婚、死別、人間関係のトラブル等

苦境や苦難、不幸から様々なことを学び、

自分の生きている意味を考え、

これらを、心が断然乗り越え、

バネにして跳ね返し、

苦を成長のための

感謝と喜びと楽しみとに振り替え

自己を向上させる人もいる。


これらを見ていると

やはり【進化向上】していると言える。


【進化向上】とは何も難しいものではない。

簡単にいうと

【より良くなろう】とすることだ。


人類の歴史を見ると、退化している面も

あるようだが、そこから省みて学び、

【より良くなろう】とする歴史でもあると思う。

人類も捨てたものではない。



また、天風哲学では

【人間の生命の本当の目的】について言及している。


それは【CREATIVE】であるという。

それは【創造の生活】であるという。


何故、人間の生命の本来の面目が、

クリエイティブに出来ているのか?


それは、進化と向上を現実化させるために、

人間に、この本来の面目が与えられているのだという。



人間の心の中に、

物の破壊や、消滅を好まず、物の成就や、完成を好むという気持ち、
共通的に所詮完全を喜ぶという気持ちがある。

どんな人間でも、代償のない破壊や消滅を喜ぶものは、無いはずだという。

その証拠に、

「自分自身をよく考えてごらん。


 物事の完全につくり上げられることを喜ぶ気持ちが、

 自分にあるか、それとも完全に出来上がると、

 すぐ、それを叩きこわしてしまいたくなるか、どうか・・・。」



「ちょいと手元のものを、粗忽に取り落としても、

 もう割れてしまって、どうも元の形にならないと

 いうことが、わかっていても拾い上げて、

 つなぎ合わせて、

 元の形にしてみようとする心がありはしないか。

 そして何となく惜しい気持ちが起こるのは、

 つまり、

 完全を欲する意欲が、心の中にあるからではないか・・・。


 それが、とりもなおさず、人間の生命の面目が、

 創造的であるという証拠ではないか!」

         (『天風瞑想録』より)

わたしはこの文章を読んで

「ほんまやなあ」と思った。

以前、わたしの3代前のパソコンのハードディスクが

壊れたことがあった。

その時、わたしはパソコンの知識も少なかったが、

「なんとか直ってほしい!」


と復旧するための参考書籍を買い込み、
パソコンに詳しそうな友人、知人に
復旧方法を訊きまくった。

またディスク修復ユーティリティーソフトを
購入するなど、ありとあらゆる手を尽くした。

必死だった。

あの時の行動は、やはり、元に戻したいという
心の現れではなかったか?

破壊したままで終わりたくないという
心が、そうさせたのではないか?


進化と向上とは

完全を求める気持ちの現れだと思う。


「性格的には完璧主義なんですが、

 なかなか完璧には、いかないんですよね」と

いう方々も多い。


たしかにそうだろう。

完璧に行かないことも多い。

私もそうだった。


しかし、ある時から、

「こう考えればいいのではないか!」と

思えるようになった。

それは


【完全へと向かう姿勢と意欲】が


重要なのではないかと。


結果として完全に成就しなくてもいいのだ。

しかし、

生きてる限り、

諦めずに努力し、

半歩でも一歩でも

「少しでも良くなろう!」と

完全へと、

近づく姿勢と意欲。

これこそが尊いのではないか!と。






進化向上とは

より良くなるためのプロセスであると私は思う。


その究極の方向は、どこか?

完全(Perfect)に向かっている。

完全とは何か?

これは私の考えだが、

「真、善、美」だ。


私は何れの宗教にも属していないが、

天風哲学では以下のように考え、わたしも同様に考えている。


「真、善、美という言葉は、洋の東西を問わず、古来より、

 いずれの宗教でも、それを『神』の心意なりといっている」


「そこで、どういう理由で『神』なるものの心意が真善美なりかというに、

 哲学的に思料しても、また科学的に考定しても、

 宇宙創造の根本主体の作為のすべてが、換言すれば、

 万物能造の活力(ヴリル)の能動現象(その活動状態とその結果のいっさい)が

 いかなる場合にも、真、善、美そのままで、その以外の何者でもが

 他にないからである。」


「古往今来、洋の東西を問わず、いっさいの宗教が、

 真善美=神の真意という所因は、実にこの点に存在するのである。」


そして、わたしたち人間は、宇宙から創られたものであるから、

わたしたち人間の心意の中にも、真善美が与えられているという。


この真善美は、人の心のどこに該当するのか?
 

真と美は本心に固有し、善は良心から発動するものだと

天風哲学ではいう。


ここで私の【完全】という言葉に対する考えを、
整理しておこう。

少し前の私は【完全】ということに抵抗があった。

「自分は全然完璧ではないし、中途半端なことも多かったし、

 なかなか完全な人もいないし・・・

 本当に完全なことってあるのかな?」

と思っていたからだ。


しかし、


ある時、閃いた!


それは・・・




自分の心の中に、たずねてみたのだ。


「本当に私は、完全を目指していないのか?」


いままで、中途半端で終わったことや、

やり遂げなかったこと、挫折した経験は山ほどある。

そこで、私は


【やり遂げなかっただけ】【諦めていただけ】で、


【本当は最後までやり遂げたかった】のではないか?


つまり【心の底】では、


『やはり【完全】を目指していたんや!』


と気がついた。


わたしの心は、

できるできないに関わらず、

やはり、完全を指向していたのだ。


これは

自分がというより

自分の心の本体が、

完全(Perfect)に向かっている。

あるいは

完全へと進化向上しようと願っているのではないか。

心の中心が【より良くなくなろう】と希求しているのだ。


言い替えれば【真善美】を体現しようとしているのだ。

遺伝子レベルで組み込まれているのかも知れない。

いや、もっと深い所で。


いずれにしても、完全=真善美を求め表現している。



今日の私は特に、

真、善、美について天風哲学から考察してみよう!

以前の日記に少し書いたことがあるが、

少し視点を変えて書こう。


先ず、【真】とは何か?



真とは・・・






前提として

人間の心の中には、本心と良心がある。


本心良心とは

「あっ、あんなことを言うんじゃなかったな」とか

「あっ、こんなことをして、すまなかったな」など

なにか道に外れたことや、やましいことを
言ったり行ったりすると、気がとがめる心のことだ。

また、なにか人のために良い行いをすると、
なんとなくスッと気持ちが良くなる心のことでもある。

つまり本当の心のことだ。


「真と美は本心に固有され、

 善なるものは良心の能動に際して、

 必然的に発動する純真情緒(心情)のことで、

 しかも何人にも、性別なく、生まれながらに

 賦与されているものなのである」

        (『天風哲人 箴言注釈』より)

そして、

本心または良心は、本能心や理性心のような肉性意識の中にはなく、

人間の最高意識である霊性意識の中に厳存していると

天風哲学では説く。


真と美は、人間の心の中の霊性意識領内の本心に固有する。


霊性意識は、宇宙創造の根本主体(造物主)に直接に相通ずる心意。


先ず、【真】(TRUTH)とは何か?



真とは

いつわりのない「まこと」のこと。


「考えてみよう。一日中いつわり多き時間を送っているか、

 いつわり無き時間を送っているか。

 大抵の人が、いつわり多き人生を送って活きている。」

               (『天風瞑想録』より)


わたしは、この文章を読んだ時、

【ドキッ】とした!

「あっ俺のことだ!

 むかしは探偵をして嘘ばかりついていたなあ」と。


「まこと」とは

ありのままの姿=何の虚飾も偽りも形容もないそのままの・・・
すなわち絶対の本然(自然のままの姿)だ。



次に、【美】(BEAUTY)とは何か?


美とは、

わかりやすくいえば、完全調和状態をいう。

(=Whole harmonization)


「調和 なきところに 美 はない。」

           (中村天風師)


「本心そのものが、

 すでに完全無欠のものなのであるから、

 それが能動状態になれば、いっさいに

 調和=和合=同化を働きかけるのが、

 これまた必然のことなのである。」


「調和という事は真善美の美に該当するもので、

 それは探究すべきでなく作為すべきものである」

                (中村天風師)



最後に、【善】(GOOD)とは何か?


善とは、

絶対愛の発露された心意、

または心意を基盤として為される行為。


絶対愛とは、

わかりやすくいうと、

何らのうらみや憎しみ、忌み嫌うことのない、

純真無垢=純一無雑の愛の心情を指していう。


かたよりのない愛をもって、

人やものに接する行為と言葉のことだ。


しかも善は

前述のように良心(conscience)の能動に際して、

必然的に発動する純真情緒(心情)だ。


わたしは、

天風哲学を学んではじめて真善美というものが、

どういうものかが分かった。

われわれ人類は真善美=完全へと進化向上しているのだということが。


現実的には、

わたし自身の実際の行動として

未熟なことも多いが、

しかし、

真善美へと進化向上を指向し意識すると、

むかしの私のように、ただポーッと生きてきた状態とは

全く違う意欲が出てきた。


宇宙の意志(宇宙のクリエイター)との協同作業により

宇宙全体を進化向上させているのだと思うと、

わたしはワクワクして生きることができる。



理想(真善美)を意志するところに道は通ずるのだ。


進化向上を具体的にするには

世のため人のためになることを

自分自身の日常生活で実際に言い且つ行うことだけだ。

ガチガチに世の中のためにと意気込む必要はない。

日常生活で自分が、ちょっとだけできることでいいのだ。


それが、自然と【創造の生活】になり、

本心良心(霊性心)が満たされる。


われわれ人類は真善美に向かうと、
どうも気分が良くなるものようだと私は思う。

本当のこと、良いこと、美しいものに近づいたり
触れたりするだけで、私の心は踊る。

私の心がスッとするのだ。


世のため人のためというのは、

何だか道徳的で抹香くさかったりして

最近では流行らないことばだが、

これが霊性満足の生活になると天風哲学では説く。

霊なんて言葉を使うとお化けとか宗教的な感じがするが、

天風哲学でいう霊というのは、スピリットであり

清らかで尊い精神・魂のことだ。


「すなわち、霊性満足の生活を現実にするのには、

 日々の言行をできる限り人の世のためになることだけを

 本位とし重点とするという心がけを、

 自分の心とすることである。

 
 もっと具体的にいえば、いつも真心と愛の心で、

 一切に対処するようにするのである。


 そうすれば、どんな場合にも、

 ほんとうの親切と尊い思いやりという、

 人間の心の最高至純のものが期せずして発現してきて、

 それがそのまま霊性満足の生活となり、

 宇宙本来の目的に合致した生活となるのである。


 だからこの生活を哲学的にいうと『創造の生活』ともいう。

 そして、

 こうした生活は人間の先天的大使命たる=進化向上に順応する、

 という階級の高い理想生活なのである。


 したがって、

 満たされないことから生ずる失望や落胆というものがなく、

 そのため煩悶苦悩という忌まわしい心理現象の発生することも

 また絶対にない。


 というのは、

 の生活目標は、何ものをも代償として求めていないからである。


 いいかえれば報酬は私の目的ではないからである。


 であるから、少しも生命に無駄な消耗も無益な疲労もない、

 否、あるのはただただ歓喜と感謝の連続のみである。」

          (『天風哲人 新箴言注釈』より)



【日々更新の 宇宙真理に順応するには

 先ず自己の心を 日々更新せざるべからず】


これは宇宙の本来が進化向上にあるからだと天風哲学はいう。

「ところが、この真理と事実が実在するにもかかわらず、


 しかも万物の霊長たる人として生まれたものの中にいささかといえども、

 更新を現実化せず、いわゆる十年一日同じような状態で、

 すなわち何の進歩も向上もすることがなく、

 ただだらだらと、この貴重な人生をもったいないことに

 無為に活きている人が相当多くいるのが

 現在の人の世のありさまである。」

          (『天風哲人 新箴言注釈』より)



わたしはまたもや「ドキッ、ドキッ」とした。


それは・・・



まさに今までの私のことだったからだ。


「ほんまやなあ、人間として生まれてきているのに、

 こんなにだらだら生きていたら、あかんなあ。


 よしっ、変わるぞ!」


天風哲学は、徹底した【実践哲学】だ。


わたしは、そこに天風哲学の魅力と意義を感じる。

天風哲学の理論は

宇宙の創世から、個々人の生き方まで一貫した流れがあり、
人生において具体的に、何をどうすれば良いかまで連なる、
私にとっては、深淵であるが、わかりやすい理論だ。


しかし、

実行しなければ意味がない。


理屈をいくら知っても、実践しなければ成果は出ない。


わたしの人生は改善されないのだ。


むかしの私は、
天風哲学の書籍を読み漁り、講習会、
月例会、習練会に、できる限り参加し、
理論、知識、体操、瞑想法の習得に努めた。

それはそれで良かったと思うが、

少しずつ考えるようになった。

目的と手段が逆転しているのではないかと。

修行のための修行では意味がない。


一番大事なことは

天風哲学を通じて、

習得したこと、教えていただいたことを、

私たちが今生きている

現実の日常生活で応用し、実践することなのだ。


天風先生が一番求めていたのは

リアリスト(実践者)だ。


「百万人の付和雷同者より、

 1人のリアリストを求む。」と。


天風哲学でいう
進化向上を現実化するためのお手伝いをするために
我々は生まれてきたのだとすると、
日常生活で実践しているか否かが私に問われる。

まだまだ未熟であると反省することばかりだ。

しかし

理想(世のため人のため)を意志することだけは

忘れないようにしよう!

少しでも日常生活で実践することを心がけよう!


長く続いているこの【進化向上】シリーズも

明日の最終「宇宙進化」編で、一区切りとしよう。



これから少しずつ

【進化向上】の総括と結論を書いていこう。


天風哲学では

宇宙並びに、この世界を形成する

あらゆる力というものは、

それが何の種類であるとを問わず、

すべて【気】というものから生まれるという。


そしてこの【気】というものは、

放射性能を固有する流動性のものだ。


古来では、霊気とか、精気とか、また生気とか称し、

さらにある一派の哲学者からは、先天の一気と呼ばれている。

いずれにしても、この【気】というものが、一切の生物を生みだし、

そして、その生命を活かしている究極的根源なのだ。


さらに、

人間の生命も、またこれと同様の原則的理由で形成されている。


そして、

「ここから天風哲学の面白いところ!」だ。



宇宙現象の根源をなす、この【気】というものは


【(+)プラスの気】と【(−)マイナスの気】の2種類に分別される。


●【(+)プラスの気】は【建設能造の働き】を行い、


●【(−)マイナスの気】は【消滅崩壊の働き】を行って、


【生成化々の現実化のため】、常に【新陳代謝】を行っている。


宇宙がこの【気】でできているため、

同じ宇宙から生まれている、

われわれ人間も、同様の影響を受けているものだ。


つまり

人間の心の中の観念が、

消極的だと、宇宙のマイナスの気と生命が無条件で結合する。

また、積極的だとプラスの気と即座に結合する。

だから、

消極的観念が中心の人は、運命や健康に優れないことが多く、

反対に積極的観念の人は運命や健康が良好な人が多いのだと
天風哲学ではいう。


観念とは

【気持ちの集結したもの】だ。


人間の観念が【気】というものから形成されている以上、

その気に同じ気が結集融合するのは、火を見るより明らかだ。


わたしは

「なるほどっ!」と思った。

私の知人のひとりは、

会えば自分の体の不調を朝から晩まで言っている人がいる。

そういえば、彼の口から出る言葉は消極的な言葉ばかりだ。

運命も良いとは言い難いなあ。


反対に、別の知人は、とっても積極的だ。

会えば、けっしてマイナスの話はしない。

常に積極的な話をしている。

顔もツヤツヤで健康そのものだ。

仕事も意欲的かつ真面目に取り組んでいる。
マイナスのことがあっても、学びのチャンスと捉え、
コツコツと事業を盛り上げている。

やはり彼は、いつもニコニコとしていて幸せそうだ。


精神態度が積極か消極かが違うだけで、
こんなにも人生が違うのかと、わたしは思う。

その理由は宇宙を構成している【気】なのだ。


天風哲学では、

この【気】を科学的にいえば、

プランク常数Hであるという。

超極微粒子のことだ。


この超極微粒子【プランク常数H=気】が、
宇宙空間に充満し宇宙を形成しているのだ。


この気が充満している宇宙空間を

【空(くう)】という。

見えざる実在だ。

これが宇宙の実相だ。


そして、

この超極微粒子【プランク常数H=気】は

エネルギーそのものだ。


だから、

この宇宙の万象万物のすべてが、

その存在を表現するのは、

このエネルギーの結合融和の結果であり、

また万物万象のその形が異なるのも、

そのエネルギーの作用だという。


さらに、

哲学でいう【縁】というのも、


万象万物の根元である

超極微粒子【プランク常数H=気】というエネルギーの

離合集散の調和現象に対する名称であるという。


万象万物の存在も

超極微粒子【プランク常数H=気】の集積だ。


その集積というのは文字通りの集積で、

決して独自の存在ではない。

つまり

お互いに協調し扶助しあっての存在だ。


だから、

いっさいの物も事も、その協調と扶助が完全である時に、

【安定】という事実が生まれるのだ。


さらに、

物や事の推移変転するのは、いっさいの物や事を

【完全化】しようとする宇宙に存在する自然現象である

【調和の復元】という作用の表れだ。


つまり

諸行無常の変化変転というのは、現象の完全化なのだ。


宇宙は

完全(真善美)へと向かい

宇宙の進化向上を現実にするために、

建設と破壊という新陳代謝作用(メタボリズム)を

繰り返しながら向上しているのだ。


宇宙の一存在である

われわれ人間の心の中にも、真善美が与えられている。

そして常に進化と向上へと我々の本当の心は向かっている。


われわれの本当の心は積極の方向へと向かっているのだ。


一個人としての人生も、


倒産、借金、貧乏、煩悶、苦労、失敗、

病、失恋、離婚、別離、死別、人間関係のトラブルなどの


マイナス要因があったとしても、

心ひとつの置きどころ、つまり思い方、考え方、ものの見方を

今までの人生からの学びや教わりと考えることにより、

苦をも楽しみと感謝に振り変える

積極的な考えへと変えることにより、

われわれは真善美へと向かうことができるのだ。


また、わたしは天風哲学の以下の言葉が好きだ。


「人生とは、飽くまで現実の世界である。

 即ち自分が現に生きているという

 現実が繰り返されている世界である。


 そして然も、始終、

 厳粛な真理に依って支配されている世界である。」


「現実の世界のことは、

 現実の手段以外で之を解決する手段も方法もないのが、

 絶対の真理であるからである。」



真善美の


真とは本当のこと。

美とは調和のこと。

善とは無条件の愛だ。


われわれは、

この真善美に向かったり、表現したり、近づくと

気分が良くなったり快と感じるという自然傾向がある。


そして、われわれ人間には、

この宇宙の進化向上を現実化するという

使命が与えられている。


この使命である進化と向上を現実化するために、

われわれは、生まれてきたのだと天風哲学は説く。


この進化と向上を現実化するには

真、善、美に近づく行為を行うことだ。


それは何もむずかしいことではなく、

世のため人のためになることを、

自分の持ち分で、できる範囲で

日常生活で言い且つ行うことを

心がけることだけで良い。


そして、

人の世のためになることを言い且つ行うことを、

自己の人生の楽しみとする気分になるのだ。


つまり

人の喜びを自分の喜びと感じればいいのだ。


このような行為を

相手からの報いを求めずに行うと

「何とも言えない爽やかな良い気分」を味わえる。

これだけでも充分な報いを与えられる。


すると我々の本心良心(霊性心)が充たされ、

とても幸せな気分で生きられるのだ。


これが、一番、精神的に充たされる生き方だ。

ここには、失望や落胆がなく、焦りや煩悶もなく
精神的疲労も消耗もない。


この

人の喜びを我が喜びとするという生き方は

最も新しく、最も古い古代より未来へと一貫する

不易の生き方であり人生哲学と人生科学の真髄なのだ。


そして、この生き方は

宇宙あるいは人類の

進化向上を現実化するお手伝いをすることであり、

【創造の生活】の実践でもあるのだ。




わたしは、

この宇宙の進化向上を現実化するために

これからもますます

【真善美】と【自己向上】を念頭におき、

わたし自身の天分と持ち分をわきまえ、

自己を磨き、

よりクリエイティブに

宇宙のクリエイターとの共同創造をしよう!


「ひたすらに人のため活きなんと

      思う命に光あるかな」


「真の幸福は、その真理を、只管一心に実践する者のみに恵まる。

 吾等はこの犯すべからざる人生の真諦と尊厳な鉄則とを

 心の底に服庸し、怠りがちな心に鞭打って、強さと長さと

 広さと深さのある現実の生命を建設し、偉大にして輝かしい

 人生幸福のゴールに到達しよう。


 そして、それを、吾等の魂のひたむきな祈りとしよう。」



「明日、明後日を考えるな。


 まして一ヶ月先を思い悩んで

 苦しむのは取り越し苦労だ。


 今日までどうにか生きてきたのだから、


 今日一日を明るく生きて行けばよい。


 この世の中は進化と向上の原則に従って進んでいる。


 人間も今日の自分より明日の自分と、

 精進努力すべきである。


 十年一日の如しというが、

 十年には十年だけの進歩と成長がなければならぬ・・・」



                          完





(引用及び参考文献 中村天風著『真人生之探究』非売品、
『天風哲人 箴言注釈』より)










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